辞世の句

 

遺言は 死後のために

書き残しておく意思表示で 

財産分与に関することなどは

法的な力をもつこともありますが

 

辞世とは この世に別れを告げることで

 辞世の句は 心情を表す最後に残すことばです

 

 自分の人生の最後に何を思うのか

 なんと言って最後を終わりたいのか

 そう言える今日を生きているのか

 

 

常に生死の戦いであった戦後時代に

生き残り江戸時代をきずいた徳川家康は

 <先に行く あとに残るも同じこと 

 連れて行けぬをわかれぞと思う>

 

意味は 今死にゆく私も、

今は死なず生きるお前たちも

いずれは同じところへ行く。

だからといって、私はお前達を死の道連れとはしない。

ここでお別れだ。

 

 

豊臣秀吉は

 <露と落ち 露と消えにし 我が身かな

 浪速のことは 夢のまた夢>

 

意味は露のようにこの世に生まれ落ち、

そして露のようにはかなく消えていってしまったこ

の身であることよ。
大阪城で過ごした栄華の日々は、

夢のまた夢のように儚いものだった

 

 

現代では 漫画の神様:手塚治虫

 <頼むから仕事をさせてくれ>

 

さて私はあなたは 

どんな辞世の句を残したいか 

時にはそんなことを考えて今日の生き方に悔いのないように

 

 

 

ひとりのほうが気が楽だからという言葉をききます

 誰にも気を使わずくらすことは 本当に気楽です

 

でも ひとりで生きてはいけないことも 

 

知っておかないといけません

 

最近では 友達はいらない 

誰もいらない、寂しくもないし、

困ってもいないからと

社会交流をしない人も多くなりました

 

 

 

その発想でいると 

社会に平和がこないことに気がついていないのです

 

誰ともかかわらない生き方では 

誰かを思いやる必要などなく、

誰かのために涙することもなく 

自分が楽でありさえすればよい

ということになってしまうのです

 

 

誰かを思いやり 

涙するのならそれはひとりで 

暮らしていても 

心は多くの人と関わって生きているのです

 

心のままにもっと 

社会とかかわることで 

平和な社会を作ることに貢献するのです

 

 

すべての人類が家族であり 友達であったなら

 

戦争やテロ、人を傷つける行為は激減するのです

 

自分の潜在的な思いを認めて 人との交流を大切にして

 

不愉快なこともめごとがあっても その解決法が

 

社会全体の平和的解決法に結びつくと知るのです

 

 

 

ひとりで生きるのは 悪いことではなく 

自立していくためにも良いことかもしれないけれど 

心はひとりで生きてはいないのです。

家族がいて 友がいて 

互いに思いあえる人の中でと思ってください。

平和な社会はこんな思いから始まるのです・

 

 

遺伝子組換え食品

食に関する知識はあまりないのですが

 

ふと、遺伝子を組み換えるというのは 

自然界に存在しないものを作りだしているということで

 

自然界のルールを乱していることになるのではと。

 

 

またどんな遺伝子組み換えをされた食品かも

 

あまり興味がなくて 知ることなくきましたが

 

もし 畑の草を除くために 

除草剤をまきたいけれど

食材は枯れてほしくないからと

 

除草剤でも枯れない遺伝子になっていたら

 

どんな食品になって体に影響を与えるのだろうかと

 

ベトナム戦争では枯葉剤を使った結果 

どれほどの悲劇があたか世界中のひとは知っています

 

その毒性に勝つ

遺伝子組み換えが無害なわけはないです

 

 

 

見た目は 今までと同じ野菜でも

 

成分が違う野菜かもしれないのです

 

食べるということは 生きることにつながっています

 

そして何を食べるかということが 心身の土台になります

 

そのもとになる食品の成分が違ってくれば 

何を食べればいいのだろう。

 

アトピーやアレルギーは 

親となる人の蓄積された食の影響が胎児に現れた結果でないと 

言えるだろうか

 

 

 

遺伝子組換え食品は 

安全で食べ続けても良いと 

厚生労働省は発表していますが 本当?

 

 

 

こどもたちに 何を教える

こどもたちに 何を教える

 毎日毎日報道される事件の数々、

 幸せそうではらがたったと車でひいてしまう人

 バイトみたいなものと娘に売春させる親まで・・

 大人だけではなく韓国で 集団万引きした学生

 友人と酒を飲んで 川に投げ入れいれられて

 泥酔し放置されて死んだ17

 この数日だけでも これだけの事件報道

 

実際には いったいどれほどの事件が起きているのか。

  

自分は大丈夫という時代から 

いつ何に巻き込まれるかわからない時代に

なっていると子供たちに教えなければならないのです

 

 命の大切さを伝えられる人になってください

 そのためには 不快感も必要なことなのです

 乳幼児期に 不快感を経験しておかないから

 わずかな不快にたえられない 

衝動的な性格を作ってしまうと知っておいてください

 

 

暗闇があるから 電気の明るさがわかるのです

 明るいところで いくら電気の明るさを教えても

 実感できないのです、

んの少しの暗闇が明るさ教えます。

 

だから 命の大切を知るために

 ほんの少し、不快感も必要なのです

 

 

 

老いる

 時間がすぎるということが 歳を重ねていくだけでなく

 老いるということでもあると 気がつくとき

 失った時間の重要さを知ります

 

若さの特権が時間であることを私も知っていたけれど

 今 50をすぎて ふと老いた自分にでくわして 

本との意味で老いと時間の関係を知るときに驚愕するのです

 

白髪やしわという外見だけでなく

 心にも老いがあります

 後からと思ってできたことが

 いつの日からか もういいかと

 やらなくなるのです

 

うっかりすると 何をあとからと思ったのか

覚えていないことさえあるのです

 

 老いは記憶という脳の働き

 やりたいと思う心の働き

 できるように動く体の働き

 このバランスが違ってくるのです

 

そして

 んなに努力しても 時間は止めることができず

 確実に 日々の時間は老いとなりその先には死があります

 

自分のために 自分が後悔しないために

 今さら・・・

 もう年だから・・・と言う

 

この言葉の後ろに だから今やるねと 言ってください

 今というこの瞬間が 一番若く、

一番人生の時間があるときだから 

 

 。。愛羅。、。。。

 

自分が一番わからない

 

自分の目で直接自分の顔をみることはできません

 必ず何かに写る顔しか見ることができないのです

 自分以外の人は 自分でみることができるのに

 自分は自分で見ることができないのです

 

 自分のことが一番わかりにくいということです

 ただわかったふりをしているだけです

 

 だからときとして

 見なかったことにしていた自分の醜さを指摘されると

 気分が悪くなるのです

 

ホラー映画などの恐いシーンでは 目を閉じているのに

 無理やり見ることを強制されると気分が悪くなるのと同じです

 わかっているけど 見たくないのです

 

けれど危険回避するためには

 しっかり見なければなりません

 目を閉じていては 塀にぶつかるかもしれません

 自分のことも

 しっかり見ないといけないのです

 言い訳して自己弁護して 現状の自分を良しとするだけではだめだし

 すべてをダメダメと言うのもだめなのです

 自分の目ではなく 他人の目に写る自分を見ることです

 自分が一番 自分をわかっていないと自覚してみてください

 

 

宗教の選び方

世界中の何十億という人々が何らかの宗教を信仰しています

 宗教というものをさけて 

世界の人々と関わることはできません。

 

そして 宗教があるのは

 人は何かを信じたいから

 宗教を否定するのは

 信じて裏切られるがこわいからではないかなと。

 人智をこえることに出会うとき つらいときなど

 心に宗教があるのは 救いになります

 誰かでも 何かでもなく 

自分の心の置き所になるものを信じることが宗教だと思えばいいのです

 

 信じるという字は 人が言ったことと書きます

だから自分の言ったことを実行しない 

うそやごまかしの言葉を話すと どんどん信じることができなくなります

 自分の言ったことが本当のことでないから

 他人も同じように思えてくるのです

 信じる力を作り 次に

 迷信や妄想にふりまわされないために 学びます

 

 日食や月食は 特別なおまじないで

発生するものではないと知ったように、

地球が丸いと知ったように教育を受けるのです

 無知であってはならなのです

 だから 無知から解放された状態で 

 心の置きところや 

心の方向性になるものを信じることが

 自分にとっての宗教になります

 それが一般的にいう宗教でなく 自分自身であってもよいのです

 人と人とが信じて生きる信頼社会となるために 

まずは自分の心を信じることができる教えを選んでください・

 

 

 

約束

 約束とは未来に実行することを今 言うことなのです

 そしてこの約束は 信頼という力を形成していきます

 

 未来に実行することを今言うのですから

 ○○に 行きますと言ったことを

 キャンセルすることは 

言ったことを未来に実行しないということになりますから

幸せになる、成功する等々の言ったことが

やってこないことになります、

 

社会においても信頼も失います

 言ったことをキャンセルする人だから

 話しを信用してはいけないと思われてしまうのです

 それでも人は様々な事情でキャンセルすることはあります

 その場合、信頼を失わないように 礼儀を尽くしてください

 連絡しないとかメールだけではだめです。

 後日に謝罪に行くつもりでいるぐらいがよいです

 社会ルールでは約束を強固にするために書面で契約します、

 契約には実行できないときの罰則が

記載されることが多々あります

 キャンセルするとは 

その罰があると思って 礼を尽くして

 断るのです、信頼されていたから口約束だっただけで

 

信頼されていなかったら

契約しなければならなかったのです

 その心がけでいることが 自分の未来に

 言ったこと 願ったことが実行される力になるのです

 そして、これぐらい、それぐらい、

と言ったことに上下をつけてはいけません。

あなたにとっては遊びでも 

相手にとっては生活する仕事であり 

要なことであったりするのです

 

 思いやる心のためにも 

言ったことは実行する、

実行できないときは礼を尽くしてください。

未来に幸せになるために約束をキャンセルしないで・

 

 

 

 

良薬口ににがし、快のための不快

 

良薬口ににがし、快のための不快

 明るい日差しの中で 照明をつけても 

明るさはわかりませんが 闇夜の中で

 つけると<あー明るい>と思わず言ってしまうほど

 明るさを実感します

 満腹でいるときに 

一流シエフの料理を食べても 

あまり美味しいと思いませんが

ペコペコの空腹でいるときの 

おにぎりは美味しいと思うでしょう。

 

 いつも快適であることは大事なことですが

 

不自由であること 

不快であることを少し経験しておかないと 

昼日中の照明であり 

満腹であるときのごちそうになってしまって 

ありがたさが わからなくなってしまうのです

 

少し注意されただけで 落ち込む、逆切れするなど

 不快に対応する力がなくなってしまうのです

 

 幼少期の運動会などでは 試合に勝っても 

負けても 精一杯であればいいという経験を

教えることができない大人が増えて 

様変わりしているようです

 勝ち負けのないようにしようとするのです

 社会において そんなことは無理と知っているのに。

 ほんとに生きることを学び、子供の成長を願うなら

 快適さだけを与えてはいけないのです

 

<良薬 口ににがし>と にがさ(不快)に耐える力と 

にがさの 向こうにあるもの(快)を信じる力が いるのです

 

 

怒りの原因

怒りの原因

 

腹が立つとき ついその原因は、

相手の言動にある気がして

 

こんなのだから あんなのだから

怒りのことばを並べますが怒りのホントの原因は 

自分の欲が妨げられた時に起きると

お釈迦さんは説かれています。

極端な話、世間でおきる様々なことに対し

直接的に自分の利害に関わっていなければ 

ひどいとか 悲しいとか思っても

 

実は私達はそれほど腹をたてることはないのです。

 

それよりも楽しみにしていたケーキを

誰かが勝手に食べてしまうほうが腹がたつのです

 

身近な人に 嫌いといわれるほうが腹がたつのです

 

 

 

もう~腹がたつと思ったなら

 それは 

 なぜ怒っているのだろうかと・・・

 原因は 自分が正しいと思いすぎているかも・・

 原因は 自分は間違っていないと思いたいから

 原因は 自分が損をしたくないから・・・

 そんなふうに怒りの原因を考えてみるのです

 

 同じことを幼稚園ぐらいの子供に言われたら

 腹がたつ?たたない? 

 違いがあるなら まちがいなく怒りの原因は自分にあるのです

 

 

言い訳上手は幸せになりにくい

 

言い訳上手は

 幸せになりにくい

 

 できない理由

 やらない理由

 間違った理由等々の言い訳が上手だと

 自分を変えることはしません

 

だから

 いつまでたっても

 できないままで、間違いを繰り返します

 毎日 自分にといかけてください  

 それ、本気でやりたいこと?

 言い訳して 

 できないまま、やらないまま 間違ったままで

 いることが

 本気でやりたいこと?

 言い訳は

 自分の心をごまかすだけで 聞いている人は

 上手に話すけれど 結局は言い訳だねと

 思っているのです

 言い訳上手になるよりも

 やりたいことにチャレンジして失敗し続けているほうが

 願いが叶うのです

 

 

 

つらいなら

 

つらいなら

 死ぬ気でがんばればと

 いうことばを聞いたことがあるけれど

 

 そんな気があるなら

 人は死なないのです

 

気力がすべてなくなって

 考えることも

 悲しむことも

 何もできなくなったから

 <死>が誘うのです

 沈黙し耐えていれば<死>の誘いがやってくる

 

だから

 死ぬほどつらいと

 泣いて さけんで

 わめいて・・・・

 自分以外の人に

 どうしたのと誘ってもらってください

 誰かがその手をにぎってくれるまで。

 

つらいときに

 我慢も頑張りもいらないのです

 だってつらいんだから・・

 

 

 

  念

 この字は 今+心と書きます

 だから 今の心という意味かと思いがちですが

 今という字は 人によってラが覆われているので

 心に含むものという意味なのです

 (ラは 良という字のひらがな表記<ら>のカタカナ)

 心の働きが念となります。

 

 

 

念を送る 

念をこめる 

念には念を 

念が残る などなど 念を使うことばはたくさんあり

 

良い意味でも 悪い意味でも使います。

 念という字は心のありようの仏教用語だったのです

 

「ふと思う」一念なのか

 「一念岩をも通す」一念なのか

  

どんな念を心で育てているだろう

 念珠・怨念・執念・愛念・念仏・丹念・・・

 

自分の心に振り回されるのでなく

 愛の心を育てようと一念発起できればいいのだけれど

 

 

 

他人の時間

 

約束の時間に 間に合う人 遅れてくる人

 電話にでる人 でない人

 すべてその時の 個々の事情がありますが

 他人の時間を使っているという感覚があまりない人ほど

 時間を守らず 電話に出ることが少ないように思います。

 

時間を守っていないという意識もないかもしれません

 なぜなら 待ち合わせの時間も 10時ではなく 10時ごろと表現するので 

1010分でも 10時ごろに含まれてしまうからです

 10時ごろで 10時に来る人のことは考えないのです

 だって 10時とは言ってないもの。・。。と

 他人の時間を無駄にさせない思考になると

 10時ごろは 10時前になり 人を待たせなくなり

 個人の解釈で 変化するいい方ではなく 10時と明言するようになります。

 

 電話もいつかけても でない人は 電話が鳴っても

 後でいい、とか 今用事がないとか かばんに入れたままなど

 自分の都合が優先しています

 手が離せない、病院や電車などの移動中ででることができない事情で 

たまに電話にでないというのではないのです

 

電話は 自分の用事があるときだけに使用するものではなく

 色々な用事があってかかってくるものでもあるのです

 

他人の時間と 自分の時間の折り合いの付け方が

 思いやりにつながっていきます

 

 腹がたつときに..

 生きていれば 時として

 自分と意見があわなくて 腹がたつことがあるものです

 だから腹がたっては いけないと

 思うのではなくて 

 問題は 腹がたったとき あなたはどうしますか

 ということなのです

 

 

今 パリで起きているような

 銃撃で解決してはいけないのです

  

傷つけられた者は

 憎しみをつのらせ 復讐の時を待ち

 復讐が復讐をよび

 終わりのない戦争にむかわせてしまうのです

 

腹がたつからと悪口を言えば 

言われた人は傷つき 悲しみ。そして 怒り 言いかえしてくるのです

 戦いが始まってしまいます

 だけど 黙ってがまんするなんて!

 腹がたっているのに!

 私悪くないのに! 

 だから 腹がたったとき あなたはどうしますか

 ということが大事なのです

 

 

正しさが支配になっていませんか

 

あなたが正しい?

 私が正しい?

 なぜ正しいと言われたいのだろうかと

 言い合いをして

 自分が正しいとなっても

 後味が悪くて 気分がすっきりなどしないのに

 なぜこだわるのだろうと考えたときに

 私が正しいのだから

 私のいうことを聞きなさい

 という支配したい気持ちから 正しさにこだわる人がいます

 子供をしつけていく過程において 親が愛と勘違いするのも

 この思考です

 宗教的なテロを起こすのもこのタイプです

 

 

 

ストレスチェックや脳の疲労度テストをすると

 正しさにこだわる人ほど

 ストレスが高く 脳が疲れているとでます

 病気のもとにもなるストレスを自分が作りだしているのです

 

 

平和や健康を願うなら 正しさを追求するよりも、それもあり

 これもありという寛容さを求めた方が良いのです

 なぜ正しさにこだわるのか そこに支配はないだろうかと

 自分の思考のくせを知ってみてください